食品微生物講座

東京家政大学家政学部 藤井 建夫 特任教授

第1回 なぜ塩辛で腸炎ビブリオ食中毒が起きたのか

わが国では年間500~3,000件(患者数約2.5~4.5万人)ほどの食中毒が発生しているが、この中には、食品についての誤解や知識不足によるものもある。そのような例として、ここでは2007年9月に発生した「いかの塩辛」による腸炎ビブリオ食中毒について考えてみたい。この食中毒は宮城県内で製造された「いかの塩辛」で起こったもので、関東を中心に9都県(東京、神奈川、茨城、群馬、岐阜、愛知、宮城、群馬、秋田、千葉)にわたって92件発生し、発症者は620名に上った。

塩辛は魚介類の筋肉、内臓などに高濃度の食塩を加えて腐敗を防ぎながら、イカの肝臓や筋肉に含まれている自己消化酵素の作用によって原料を消化し、旨みを醸成させるのが本来の作り方である。熟成中にタンパク質から遊離アミノ酸が生成され、例えば旨み成分となるグルタミン酸は約10倍に増加する。これとは別に微生物によって乳酸や酢酸なども生成され風味に寄与する。

塩辛は塩分濃度が高いので(ふつう10%以上)、昔は常温保存されていたにもかかわらず、食中毒が起こることはあまりなかった。それではなぜ今回、食中毒が発生したのであろうか。腸炎ビブリオは塩辛中では10%以上の塩分でも生えるのであろうか。あるいは、製造の際に塩分濃度を間違ったのであろうか。

実は、最近の塩辛は塩分が4~7%程度のものが主流となっており(図)、今回の食中毒はこの低塩分塩辛で起きたのである。低塩分塩辛では腐敗細菌の増殖を抑えきれないため、長期間の仕込みはできず、熟成(自己消化)による旨みの生成ができない。そのため、調味料で味付けし、また塩分が薄いので、保存性を維持するため低温貯蔵は必須であり、さらにpH・水分活性の調整、種々の添加物などによって保存性が付与されている。製品は発酵食品というより和えものに近いといえる(表)。

【図】市販塩辛の食品濃度分布(1988~89年の試料)
【図】 市販塩辛の食品濃度分布(1988~89年の試料)
【表】伝統的塩辛と低塩分塩辛の比較
【表】 伝統的塩辛と低塩分塩辛の比較

腸炎ビブリオは好塩細菌であるが食塩濃度10%以上の伝統的塩辛では増殖できない。しかし、低塩分塩辛では、塩辛自体の塩分濃度が腸炎ビブリオの増殖に好適であるため、要冷蔵で流通・販売する必要があり、数時間でも室温放置されると食中毒発症菌量(10g食べる場合で105~106/g)に達することになる。

この事件の最も重要な要因は、塩辛の低塩化に伴う危害についての理解不足と、問題意識が欠落していたことであろう。最近は塩辛だけでなく、食べやすさや健康志向を重視して、低塩化やソフト化(多水分化)、加熱低減など加工食品が多くなっているが、そのような食品では微生物制御要因が甘くなっていることになるので、各メーカでは、自社の製品の製造原理と安全対策を十分見直し、消費者や小売店などに対して必要な情報(特に低温保存が必要かどうか)を確実に伝え、その条件が守られるようにすることが重要である。

塩辛についてもう少し知りたい方は、拙著『魚の発酵食品』(成山堂書店、2002年)または『塩辛・くさや・かつお節(増補版)』(恒星社厚生閣、2000年)を参照ください。

藤井 建夫 特任教授

藤井 建夫(ふじいたてお)特任教授

東京家政大学家政学部特任教授
(東京海洋大学名誉教授)
研究分野:食品微生物学(食品衛生、発酵食品の微生物学)
代表著書:微生物制御の基礎知識(中央法規出版)、魚の発酵食品(成山堂書店)、塩辛・くさや・かつお節(恒星社厚生閣)、食品加工と微生物(中央法規出版)、食品衛生学第二版(恒星社厚生閣)、食品の保全と微生物(幸書房)など。

食品微生物講座

ページTOP